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​永井潔 年譜

1916年     8月24日、群馬県前橋市に生まれる。父広は前橋師範学校教諭、母志津。
1927年(11歳) この頃より油絵を描き始める。
1935年(19歳) 旧制一高を中退、硲伊之助(はざまいのすけ)に師事。本格的に絵を学び始める。
1936年(20歳) 召集され、朝鮮羅南(らなん)の歩兵連隊へ。
1938年(22歳) ソ連軍との戦闘、張鼓峯(
ちょうこほう)事件で胸部に重傷を負い、約9か月入院。
1939年(23歳) 帰京。一水会に『自画像』出品、入選。
1946年(30歳) 日本美術会創立に参加、委員となる。7月一水会会員となる。
1947年(31歳) 第一回日本アンデパンダン展に出品の『蔵原惟人(くらはらこれひと)像』が、読売新聞年度ベスト3に選ばれる。
1948年(32歳) 日本美術会事務局長に就任。
1950年(34歳) 藤田文子と結婚。『白いむく犬』(A・クープリン著 新教育事業協会)の挿絵を担当。

         以後、児童文学、新聞小説の挿絵も多く描く。
1951年 (35歳) 長女愛誕生。
1952年(36歳) 練馬区に転居、アトリエを建てる。
1953年(37歳) 第15回一水会展に『母』を出品。一水会優賞、さくら新人賞を受ける。
1960年(44歳) 雑誌「リアリズム」に小説『春画』を発表。以後時々小説も発表。
1963年(47歳) 東独ベルリンの「日本版画展」に日本美術会代表として参加。

         ルーマニア、スイス、イタリー、フランス、ベルギー、オランダ等を周遊、デンマーク・フュン島に滞在。
1965年(49歳) 資生堂で「ヨーロッパ写生展」。
1966年(50歳) 日本美術会付属研究所の初代所長に就任。
1970年(54歳) 『芸術論ノート』(新日本出版社)を出版。以後、芸術論、評論も多く手がける。
1983年(67歳) 日本美術会代表に就任、学校法人中央労働学園理事長に就任、東京文科アカデミー校長となる。
1986年(70歳) キューバを訪問、日本美術会代表としてUNIAC(芸術文化団体連合)と美術交流協定を結ぶ。
1987年(71歳) 武蔵野外語専門学校校長に就任。
2006年(90歳) セシオン杉並で「九十歳記念永井潔展」を開催。最後の個展となった。
2008年     9月8日永眠。享年92歳。

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