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​過去の展覧会

第9回企画展
第7回企画展

第9回企画展

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FAMILY HISTORY​    永井潔が描いた家族

2022年9月3日〜2023年7月29日

生涯にわたって描き続けた家族、親族の像を64点!

人物画を多く手がけた永井潔にとって、「家族」は常に重要なテーマでした。今回は、彼が生涯にわたって描き続けた家族、親族の像から64点を選び、展示します。 最も多く描かれたのは、母・志津でしょう。幼い潔(8歳頃)の目に映った30代前半の『おかあさん』(1924年頃/鉛筆・色鉛筆・クレヨン)から、102歳の『眠る老婆』(1994年/鉛筆・水彩)まで、70年を超える歳月の中に志津は度々登場します。『目を閉じる母』(1942年/鉛筆)、『眠る母』(1943年/鉛筆)は、戦時下の閉塞感を母の表情に重ねるかのよう。58歳の志津を力強く描いた『母』(1950年/木炭)は、戦後リアリズム美術の秀作として中学校の教科書にも掲載されました。『手紙の媼(おうな)』(1985年/油彩)にも、志津93歳の生命力がみなぎっています。 父・廣も生活の中で多くの姿が描かれました。13歳の潔による『寝る父とジョン(犬)』(1929年/鉛筆)、『食卓の父』(1930年/鉛筆)『父ともう一人』(同)などのデッサンからは、40代の廣の日常がユーモラスに伝わってきます。一方、『裸の父』(1946年/油彩)は、やせた60歳の廣の身体が、戦争による食糧難を鮮烈に物語ります。 戦後の新しい女性像をイメージさせる『若い女』(1950年/木炭)は、後に妻となった文子(ふみこ)がモデルです。短い結婚生活でしたが、『赤い服』(1950年/油彩)、『文子像』(1952年/鉛筆・水彩)、『歌う文子』(同)、長女・愛を抱いた『母子』(1952年/油彩)には、文子と親しく暮らした時間が今も流れているようです。 愛の誕生後は、その成長を追う作品群が加わりました。幼少期から10代は『愛の寝顔』(1952年頃/鉛筆・墨)、『5歳の愛』(1957年/鉛筆)、『7歳の愛』(1958年/鉛筆・水彩)、『日傘』(1961年/油彩) 、『少女』(1968年/油彩)など。『久留米絣』(1978年/油彩)、『黒い服の愛』(1999年頃/鉛筆・水彩)は、20代と40代。娘を描いた最後の作品『a playwright』(2002年/水彩)には、劇作家として50代を迎えた娘を励ますかのように、鉛筆で「a playwright」と書き入れています。ほかにも、兄弟同様に育った叔父・行蔵(こうそう)、フデおばあちゃん、叔母さん、父の囲碁仲間、犬のジョン、猫ピーヒャラが時を追って絵の中に現れます。本展は、時代の波にもまれながら「かけがえのない存在」を描き続けた永井潔が、画家として成熟してゆく過程の記録としても、お楽しみいただけることでしょう。

「絵のあるカフェ」では、「色紙は楽し!」と題して、永井潔の手による色紙作品30点を展示。心惹かれた風景、草花、庭の柿、まりで遊ぶ猫など、平凡な日常をこよなく愛した画家の絵筆が微笑むような​タッチです。

​◀︎《裸の父》(1946年)

第8回企画展

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92年の自画像

2021年3月6日〜2022年1月29日 延長会期 2022年3月5日〜7月30日

自画像でたどる永井潔の生涯。​幼少期から晩年の作品まで50余点を一堂に!

かつて永井潔は自画像について、「近代の自我意識の目覚めと歩調を合わせて発達したもの」「自分をほんとに批判的に客観視できるのは、近代的に解放された自由な個人だけ」(『月刊ボザール』1974/9月号)と書きました。「そんなややこしいことはさておき、人物画の勉強に一番てっとり早く一番便利なのが自画像です」(同)とも。そして、永井自身も92年間の生涯において、数多くの自画像を描きました。

初期のものとしては、『11歳の自画像』(1928年/鉛筆)、二科技塾研究所で絵を学び始めた19歳頃の『あごに手をやる自画像』(1935年頃/油彩)など5点。三度にわたって兵役召集を受けた戦時下の20代は、除隊帰京時に描いたと思われるものが多く、『23歳の自画像』(1940年/油彩)、『腕組みする自画像』(1943年/油彩)、『ヘアバンドをした自画像』(制作年不明/油彩)、『軍帽と煙草の自画像』(制作年不明/油彩)ほか、油彩、水彩、素描作品が総数25点と突出、いつ来るか知れぬ次の召集を念頭に、自己と向き合い続けた青年の心境が想像されます。

戦後を迎えた30代は、日本美術会の結成と発展に向けて羽ばたく一方、結婚、長女の誕生、離婚と、私生活でも変化の多い日々でした。30代前半と思われる『杏色のシャツの自画像』(制作年不明/油彩)、『35歳の自画像』(1952年/油彩)などが、次第に重い責任を担っていく自分を、若さの残る表情の中に描いています。

40代は、『煙草の自画像』(1958年/鉛筆)が反骨の精神をとらえて印象的。一方『49歳の自画像』(1966年/油彩)は、成熟した穏やかさを感じさせます。

50代以降、次第に自画像は少なくなりますが、これには、芸術論や評論、小説などの執筆に時間をとられたことも影響しているでしょう。しかし、『庭の見える自画像』(1967年頃/油彩)、『絵を描く男』(1973年/油彩)、『65歳の自画像』(1981年/油彩)には、絵筆をとり続ける自己を客観視しようする意志が、なお強く働いています。

最後に描いた自画像は『90歳の横顔』(2006年/鉛筆)。自らの老いをありのままに描き出そうとする中で、永井潔は人生のあらゆる失敗を肯定する気になったのではないでしょうか。すべてのことに意味があった。この絵は静かにそう語りかけてくるようです。

同期間中 館内 絵のあるカフェでは、「キヨシ君よくできました!」と題して、永井潔の幼少期の絵やコラージュを展示。

第7回企画展

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やっぱり、デンマーク!

2020年3月7日〜7月25日 3月下旬に2021年1月30日まで会期延長

旅の最終地で過ごした忘れられない3ヵ月
永井潔は1964年の3月から6月末まで、デンマークのフュン島に滞在しました。第5回企画展「ゆきなりさんぼう──ヨーロッパ紀行」でご紹介した、初のヨーロッパ旅行の最終地としてここを訪れ、気ままに三ヵ月を過ごすことになったわけです。
アンデルセンの故郷として有名な、オーデンセからそう遠くない村──その一軒の農家に宿泊し、そこで知り合ったヤコブセン氏やホー君ら、デンマークの画家たちと写生に出かける日々。原っぱでの昼食、絵を見に出てくる大人や子ども、夜はヤコブセン氏の家に招かれ、自家製ビールで乾杯したり、歌ったり。言葉の通じない人々との、片言英語や手まねによる心の
交流は永井潔にとって、生涯忘れ得ぬ思い出となりました。画家たちとスケッチを共にした中でも、とりわけ思い出深い『雀ヶ丘』(1964年/油彩)、デンマークの農村風景は、『酪農工場のある風景』(同)、『壊れた風車』(同)、『デンマークの畑で』(同)、『アスパラガスの苗を植える──デンマーク、フューン島ソナヴァン農場』(同/水彩)、『木立の見える畑』(同)に、今も瑞々しく残ります。機械によるダイナミックなまきわりの光景にはとりわけ心惹かれたようで、『デンマークのまきわり』1~3 (1964年/水彩)、『まきわり機械』(同)に繰り返し描きました。現地で親しんだ人々の姿は、『デンマークの画家ヤコブセン』(1964年/素描)、『ケネス』(同)、『マルガ・リュトガー※』(同)、『農夫ホルガ』(同/複製)など、共に過ごした時間まで伝わってくるようです。展示作品はほかに、『アスパラガスの缶詰工場』(1964年/油彩)、『コペンハーゲンから来た娘』(同)、『税関の見える船着き場』(同)、『ボーゲンセの坂道』 (同)、『洗濯する女』(同/水彩)、『赤い屋根の家』(同)、『市場』(同)、『ヴェニス』(同/素描)、『煙突と洗濯物の風景』(同)など。「ゆきなりさんぼう──ヨーロッパ紀行」の後編として、お楽しみいただけたらと思います。

 

《雀ケ丘》(1964年)

第6回企画展

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絵描きの一人娘

2019年9月7日~2020年1月25日

永井潔に長女・愛(当館館長/劇作家・演出家・二兎社主宰)が生まれたのは1951年。新憲法と共に発足した日本美術会の創立メンバーとして、自由で民主的な美術の発展を目指し奔走していた頃でした。‘50年に藤田文子と結婚、35歳で初めて「父親」になった感慨は『愛の顔』(1952年/コンテ)、『愛100日目・愛5ヵ月』(同/鉛筆)、『眠る愛』(同)などの素描から今も瑞々しく伝わってきます。じっとしているのが苦手だった愛はモデルになるのを嫌がり、潔はラジオを聞かせたり、なだめたりしながら、成長する娘を描き続けました。『腰かける愛』(1957年/鉛筆)、『あまたれじょうちゃんピアノがじょうず』(1957年頃/油彩)、『愛6歳』(1958年頃/油彩)は幼児期のあどけない表情を、『日傘』(1961年/油彩)、『机に向う愛』(1962年/鉛筆)、『絵を描く愛』(1963年頃/鉛筆)は思春期にさしかかる内面の変化をとらえています。成長するにつれ愛がモデルになる機会は減り、中学時代に『13歳』(1965年/水彩)、10代後半から20代にかけては、『少女』(1968年/油彩)、『浴衣』(1970年頃/木版)、『久留米絣』(1978年/油彩)を残すのみですが、30代を迎えた愛が演劇活動を本格化させると、父と娘には表現者としての新たな関係が生まれました。娘の舞台を欠かさずに見た潔は、『ほほづえ』(1980年代/木炭・墨)、『夏』(1983年/油彩)、『浴衣の女』(複製1987年/水彩)、『マリンルック』(1980年代後半/木炭・水彩)、『黒い服の愛』(1994~2002年頃/水彩)と、年齢を重ねる娘の姿を追っています。互いの作品を辛辣に批評し合いながら、父と娘は独特の信頼関係を築きました。愛を描いた最後の絵に潔は「a playwright(劇作家)」(2002年/水彩)と書き入れています。展示作品はほかに、『母と子』(1952年/鉛筆)、『オルガンの稽古』(1957年頃/コンテ・水彩)、『オルガンを弾く愛』(1959年頃/油彩)、『人形を背負う愛』2点(1956年頃/コンテ)、『みかんを食べる愛(1959年頃/コンテ)、『みかんをむく愛』(1959年頃/コンテ)、『猫を抱く愛』2点(1963年頃/鉛筆)、『浴衣』(2007年/ガラス絵/木版の『浴衣』(1970年頃)がモチーフ)など──父が娘に向けた51年間の眼差しです。

《愛6歳》(1958年)

第5回企画展

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ゆきなりさんぼう─ヨーロッパ紀行

2019年3月2日~7月27日

まだ世界が東西冷戦下にあった1963年の12月、永井潔は旧・東ドイツへと旅立ちました。東ベルリンで開催される「現代日本版画展」に日本美術会代表として参加するためです。

47歳にして初めてのヨーロッパ、ジェット機に乗るのもむろん初めて。そんな〝おのぼりさん〟状態のまま、翌1964年の7月にかけて、ルーマニア、スイス、イタリア、フランス、ベルギー、オランダ、デンマークをめぐった旅を彼は「ゆきなりさんぼう─ヨーロッパ紀行」(1964~65年「文化評論」)というエッセイに記しました。〝ゆきなりさんぼう(行き成り三宝)〟とは、〝いきあたりばったり〟のこと。旅はアクシデントの連続でしたが、「困ったときは、いつも見知らぬ友がどこからか現れて、その親切によって助けられた。不親切にも出会ったが、親切に出会った印象の方が強い。けっきょく私は人間に対する親愛を深めることになった」(同)と述懐するほど、生涯心に残る旅となったようです。今回は、その旅中で描いた作品を展示します。

ドイツの小旅行では『ヨーロッパスケッチ ドレスデン』(1964年/水彩)、『ドレスデン 城を望む』(同・水彩)、次に訪れたルーマニアでの『ブカレスト雪景』 (同/水彩)。イタリアでは『ヴェネツィアのかんかん』(同/水彩)2点と『ベニスの女』(同/水彩)。最も長く滞在したデンマークでは、『リンゴの花咲く裏庭』(同/油彩)、『アスパラガスの缶詰工場』(同/油彩)、『コペンハーゲンから来た娘』(同/油彩)、『税関の見える船着き場』 (同/油彩)、『樹間』(同/油彩)、『ボーゲンセの坂道』(同/油彩)、『ボーゲンセへの道』(同/油彩)、『アンデルセンの家』(同/油彩)、『ボーゲンセの魚屋』(同/油彩)、『ランゴオ駅』(同/水彩)、『デンマークのまきわり』(同/水彩)など、展示作品は22点。最初の宿泊地、ボンベイでカメラを失ったため、思い出に残したい光景はその場で絵に描きとどめるしかありませんでした。当時の彼には、新たにカメラを買うという選択肢がなかったようです。

《ヴェネチアのカンカン》(1964年)

第4回企画展

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女たちーまなざしの先

2018年9月1日~2019年1月26日

人物画を得意とした永井潔にとって、女性の魅力をありのままに捉えることは、尽きせぬ関心の対象でした。本企画では、1930年代半ばから1950年代にかけて制作された14点の女性像を展示します。

1945年の終戦をはさんで、女性の社会的立場は劇的に変わりました。『書記』(1947/油彩)は、その象徴的な作品。会議に臨む女性のまっすぐな視線からは、新憲法によって男女同権を獲得した女性の躍動感が伝わってきます。一方で、時代に翻弄された女性たちも多くいました。戦死した息子に祈りを捧げる母親を描いた『暗い部屋にて』(1955年頃/油彩)、戦後の混乱期に起きた「松川事件」の被告の姉を描いた『松川覚書』(1950~1954年/油彩)は、苦悩を背負って生きる女性の深い表情が印象的です。高度成長期に向かう日本を下支えした女性労働者の逞しさが感じられる『にこよんの女』(1955/油彩)、近所に住む少女たちのあどけない美しさが輝く『みはるちゃん』(1957/油彩)、『少女像』2点(1955年~1959年/鉛筆)。また、『縫い物をする女性』(1930年代半ば~1950年代/油彩)、『裸婦』(同/油彩)、『緑の服の女性』(同/油彩)、『青い服の女性』(同/油彩)、『世田谷のお嬢さん』(同/油彩)、『三人の女たち』(同/水彩)、『振り向く女性』(同/鉛筆) も武田恵理氏(文化財保存修復スタジオ)の修復によって甦り、今回初の展示となります。

戦中、戦後、高度成長期という目まぐるしい時代を生き抜いた女たちは、まなざしの先に、どんな「明日」を見据えていたのでしょうか。

《書記》(1947年)

第3回企画展

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男たちー物語る顔

2018年3月3日~7月28日

永井潔は生涯にわたって多くの人物画を描きましたが、今回は1930年代半ばから1940年代に制作された男性像を中心に展示します。

この時期は、日本が戦争に向かって突き進み、敗戦とともに民主主義を迎えた激動の時代でもありました。永井潔の描いた「男たち」にも、時代の空気が色濃く反映されています。

『蔵原惟人氏像』(1947)のエスキース2点(鉛筆)は、読売新聞で年度ベストスリーに選ばれた秀作油彩の下絵で、戦後の文化運動を率いた蔵原惟人氏の新時代に向かう意志と知性をとらえています。『帽子の少年』(1930年代半ば~1940年代/油彩)の溌剌とした横顔にも解放感と希望が感じられ、戦後まもなくの作品ではないかと想像されます。『頬づえをつく青年』(同/鉛筆)、『二人の男(男性二人像)』(同/油彩)、『帰還した日』(同/油彩)にも、「民主主義」という新たな世界で物思う男たちの内面が窺えます。『開襟シャツの男』(同/油彩)がどこか暗く哀感を帯びて感じられるのは、『軍服の男』(1942年/油彩)のように戦時下に描かれたものだからかもしれません。永井自身が戦闘で重傷を負い、兵役の合間に「絶筆になるかもしれない」と思いながら、寸暇を求めて絵を描いた(自著 『あの頃のこと今のこと』)心情もそこには反映されたでしょう。

ほかにも『少年工』(1943年頃/油彩)、『コマ絵描き』(1958年/油彩)など、総勢14人の男たちが時代を超え、何かを語りかけてくるはずです。

《帽子の少年》(1930年代半ば~1940年代)

第2回企画展

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ほぼ練馬、ちょっと世田谷

2017年9月2日 - 2018年1月27日

永井潔は19歳(1935 年)から35歳(1951 年)までの16年間を世田谷区松原で、36 歳(1952 年)から92 歳(2008 年)で亡くなるまでの56年間を練馬区早宮で暮らしました。その間には、戦争、敗戦、戦後の復興という、時代の波がありました。それに重ねた、彼自身の個人史がありました。青年期から老年期にいたる日々、「世田谷」で、「練馬」で、彼は何を目にしたのか?

『春』(1932 年/ 油彩)、『線路』(1930年代後半/ 油彩)、『民家』(1930 年代後半/ 油彩)、『父と母』(1948 年/ 油彩)、『赤い服』(1950 年/ 油彩)、『画室の一隅』(1953 年/ 油彩) 、『かまど』(1954 年/ 油彩)、『床屋』(1959 年/ 油彩)、『女学生』(1959 年/油彩)、『練馬駅附近』(1960 年頃/ 油彩)、『日傘』(1961 年/油彩)、『桜橋附近』(1986 年/ 水彩)   

刻々と変わりゆく人と風景は、貴重な時代の証言者でもあります。永井潔に「描きたい!」と思わせた時代の記憶、「ほぼ練馬、ちょっと世田谷」をご堪能ください。

​《床屋》1959年

第1回企画展

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永井潔アトリエ館 オープン記念

永井潔のすゝめ

2017年4月15日 - 7月29日

アトリエ館のオープン記念となる本展では、評価の高い人物画を中心に、1940年代から2000年代にかけての主要な作品をご紹介いたします。

終戦直後の食糧難を反映する『裸の父』(1946年/油彩)、『鍋など』(1947年/油彩)、一水会優賞・さくら新人賞を受けた『母』(1953年/油彩)、中学の教科書にも掲載された素描の『母』(1950年/木炭)、デンマーク滞在中(1964年)の作品『トラクターのある納屋』(油彩)、『菜の花畑』(油彩)、『農夫ホルガ』(複製品)などのほか、川口の鋳物工場を描いた『注湯』(1967年/油彩)、ゴーリキーの短編に構想を得た後期の大作『燃える心臓』(1987~2006年/油彩)など、60年間にわたる時代の流れの中で変化してゆく筆致がご覧いただけます。また、損傷が激しく、画集にも収録できなかった『よなべ』(1955年/油彩)、1940年代後半の作と思われる『少年工』(油彩)、『男性二人像』(油彩)が、山領まり氏ご紹介による岡崎純生氏の修復で甦り、新作のような鮮度で展示されるのも本展の特色と言えるでしょう。

1階「絵のあるカフェ(et café)」では、ABCブック『ウィリアム・テル』(1966年/世界出版社/文・村山知義)の挿絵原画全18点を展示中です。絵本の挿絵も多く手がけた永井潔の、子どもたちに向けたまなざしをご覧ください。

《よなべ》1955年

第3回企画展
第4回企画展
第5回企画展
第6回企画展
第8回企画展
第2回企画展
第1回企画展
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