​夏休み絵日記

夏休日誌

八月九日

一 東京出発

出発にあたって母が

「のんきにやっておいで。」

と云った。そこで、

「うん」、と答へておいた。ふだん云うことを

きかぬかはりせめてこう云ふ時にでもいゝへんじをしておこう。

 

身支度はかいゞしいものだ。角帽をかぶ

つた叔父は父のお店の茶色に色のはげたワニ皮

のかばん、それにトランクを一ツもった。

僕もトランクを一ツもった。いよゝ玄

関で二人が勢ぞろいをした時に、

「弥次喜多 栗毛と云ふところだね。」

と皆に笑はれた。さしづめ僕が喜多八とで

も云ふところか。

かくして出発だ。

「叔母さんによろしくね。」

 

「じやいつておいで。」

あ!のんきにと云ふ母の言葉をかたくま

もって山なす宿題をあとにのこして出立する

喜多八の心中そも如何?

―東京駅―

弥次ロベ喜多八は東京駅で省線を降りて先

づ最初の失敗をした。どんゞ降車口へ出て

しまつたのだ。しかしこんなところで、

「あつ、まちがつた。」

などと自分の失敗を人前にさらけ出すと云

 

ふ事はなんと云ふ見つともない事だろう。僕

等はただだまつて円タクでもさがすやうな顔をし

てどんどん外へ出た。

「行くちゃん、何時?」

僕がきいた。

「この時計は毎日おくれるんだよ、あてになら

ないんだ。」

「いつ合はしたの?」

「おとゝひさ。」

 

すこぶるたのもしくない。

「のりおくれるかもしれないぞ。」

「うん。」

そしてかけだしたのである。バタバタと足

が音をたてるガタゞとトランクがなる。

もうこうなるとみえも外聞もかまっていら

れない、二人は袖セン競走で椅子とバケツのあ

たった人みたいなかつこうでかけだした。実

さいその時は捨ててしまひたいようなトラン

クだった。走るたびにトランクが尻にあたる。

 

バタゝゝガタゝゝ

しかし急いだおかげで途中二重の手間を

とつたにもかゝわらず汽車には眞先にのりこんで

よい席をしめる事が出来た。汽車は午後十

一時十分発の大阪行きである。夜の東京駅スケ

ッチしてやろう思つてプラットフォームに出

て見たがよした。またいつでもかける。

-十時十分―

「ポーッ」

汽笛一セイ。プラットフォームがぐらつとゆ

 

れてだんゝ後ろへ動き出した。駅夫の顔も見

おくりへの顔も一緒にのせたまんま。

僕はトランクから買ってきた雑誌を出して

開いた。叔父は例のワニ皮のかばんから古ぼけ

た本を出してのぞきはじめた。神皇区統記と

かいてある。僕のとなりには帰郷するらし

いがんじような体の学生がのつた。そのがん

じような口から出るとはとうてい想像さえ出

て来ないやうな関西べんなのがおかしい。叔父

さんの隣には一人でふらりと入って来た若い紳士

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